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原っぱ大学働きごこちインタビューvol 4 伊東優

並々ならぬこだわりを持ち、誰からも頼られる〝遊びの職人〟

伊東 優 Yu ito
生まれも育ちも神奈川県逗子市

日本獣医畜産大学にて微生物を専門に研究。
小さい頃から生き物が好きで、生物の勉強の出来る大学を選ぶ。微生物に興味を持ち、地下室で研究に没頭する日々を過ごす。

2002年よりBSPソリューションズにてシステムエンジニアとして勤務。
仕事に100%力を入れていた生活から家族の時間も大事にする働き方にシフトしていきたいという理由で退社。

2004年より海上自衛隊勤務。
ITベンチャー企業勤務時代に感じていた「個人で闘うことへの限界」「チームの力」「組織の力」に興味を持ったことにより入隊。

2009年より現在、家業を継ぎ個人事業不動産業。

ガクチョー(塚越)と幼馴染でもあり共に遊び、育つ。原っぱ大学の立ち上げ当初、村やを開拓するところから関わり続けている。海遊び・ミニ四駆・探検・秘密基地作り・ものづくり・ナーフなど、子ども時代と直結した遊びを楽しむ。つくること、おもしろいこと、美味しいもの、扱う道具に対して並々ならぬこだわりを持ち、楽しさの追求を続ける一方で場の整備や安全管理業務を担当。独学で身につけたものづくりや道具に関する知識も豊富。各コースのものづくりプロジェクトに欠かせない存在。最近プライベートで時間を割いていることは釣りと素潜り。

*インタビューの撮影場所はお気に入り釣りスポットにて。歩いて行ける距離で面白いことをしたい、という気持ちが最近は特に強くなっているそう。当日は小4から高1までの釣り仲間と共に。



〝生きるためにとにかく頑張る20代〟から〝自由の中で仕事をする〟30代へ

元々生き物が好きで、生物の勉強が出来る大学へ行きました。微生物や納豆菌などが好きで専門課程では研究の道へ。Tシャツ短パン姿の上に白衣を着て、足下はビーチサンダル。長い髪は茶色くて。地下室でひたすらに試験管を振る生活でしたが、今思い返せばすごい格好だったので学内では異様な存在だったようです。

子どもの頃から友達だったガクチョーと、大学の夏休みには一緒に海外へ行ってサーフィンをしてはまた地下に戻って研究をして、また休日にはサーフィンをするという日々でした。勉強が好きで楽しかったので大学院に進むことも考えましたが〝教授がやりたいことを学生が忖度して提案する〟という雰囲気に息苦しくなってきてしまって。進学はせずに就職しました。

最初に勤めたITベンチャー企業では死ぬほど働かないといけなかったんですね。稼ぎは良くても不安定でしたし、結婚して、ましてや子どもがいてこの生活を続けるということはとてもじゃないけど考えられない。結婚を控えていたこともあり、仕事に100%の力を入れていた生活から家族の時間も大事にする働き方にシフトしていきたいという理由で辞めました。

その後の仕事は海上自衛隊員です。結婚後、自衛隊に入隊した一番の理由は「安定を求めた」からだったのですが、別の理由もありました。ITベンチャーで働いていたとき、競合相手が名だたる超大手ばかりだったんです。新人の僕がひとりで現場に行くと、競合相手からは社員が3人も揃っている。チームで力を発揮する在り方を目の当たりにして、個人でできることには限界がある、と強く思いました。自衛隊は最も強固な組織やチームが存在するので、自分の身を置くことに興味がありました。

でも僕は人から命令されることが死ぬほど嫌いなんですよ(笑)。僕を知る人はこの経歴を聞くとだいたい驚きますね。学生時代から「誰かの言うことをきく」ことへの息苦しさを感じていた僕が、命令の極みのような自衛隊にいられたのはなぜかというと、「仕事は仕事」という考えがあったからだと思います。「仕事と遊びは違う」という感覚があって、あくまで20代は「生きていく上で必死に頑張らないといけない」という気持ちが強くありました。

やることがないことへの不安は、ぼーっとしていられる幸せに変わった

30歳の時に父が亡くなり家業の不動産業を継ぐことに。自衛隊を辞めることになりましたが、それはあくまできっかけであって、自分の中で想いの変化と環境の変化が一致したということだったのだと思います。

仕事は仕事、と割り切ることへの違和感が生まれ、それを抱きながら、この先の人生ってどうなのだろうか?と妻ともよく話し合いました。方向転換するのは30歳までという漠然とした考えと、大きく転換したとしても当面やっていけるだけの貯金も準備していました。

自営業の父は、昔からお金に対して厳しくて。うちはお小遣い制ではなく、欲しいものがあるときに父を説得できないと1円も出てきませんでした。1本ジュースをねだろうものなら、この1本にいったいどれだけのコストがかかってどれだけの人件費がかかっているか、という説明を延々と聞くことになります。そのおかげもあって、お金のことは子どもの頃から叩き込まれました。

不動産業へシフトしたことをきっかけに、自由な時間がとても増えました。家族との時間や原っぱ大学の立ち上げに関わる時間もたくさんありました。仕事とプライベートを切り分けないゾーンに入ってみて、最初は不安も少しありました。自営業は毎日必ずやることがあるわけではなく「何かしなくちゃ」という思い込みもあったので、無駄に掃除をして時間を稼いだりして。何かをやっていると仕事をした気になる。当時は「やることがない事への不安」があったんです。でも「やらなければいけないことに追われる仕事」に意味があったのかと言われると、正直よく分からないです。

でも、ひとつ分かることは、僕は自由が欲しかったんだな、ということですね。今の仕事はタイミングだけで勝負してうまくまわっています。やるかやらないかを決めるのは自分だし、責任を負うのも自分。強制されて、嫌だと思ってもやるのが仕事だと思ってやってきましたけど、自由の中にも仕事は成り立つと気付いてしまいました。今の「自由な状態」が欲しかったわけで、「自由を得て何かをしたい」という話ではない。自分のペースでやれる環境が欲しかったので、今はせっせと無理に動くことはなくなりました。今はとにかく、ぼーっとしていることが幸せです。

面白い!と思うことに、とことんこだわる遊びの職人

僕は仕事はあるものの、自分で自由に使える時間があった。そして何より楽しそうだったので自然な流れで、原っぱ大学のフィールドとなる「村や」の開拓を手伝うようになりました。最初は本当に何もなくて、あるのは木と藪だけ。そこを開墾したり、同級生のピザ職人にやり方を聞きながらみんなでピザ釜を作ったり。ガクチョーや地元の友達と、この山でどんなことをして遊ぼうか、何か面白いことをやりたいね、と子ども時代そのものでした。

今、原っぱ大学でやっていることは、自分の子どもの頃と直結しています。子どもの頃は、友達と勝手に山に入って、ハイキングコースから道のないところへ入って探検したり。当時はエアガンをやったり、ミニ四駆でもたくさん遊んでいました。原っぱ大学やサボールでは当時やっていたことをそのままやっています。僕の好きな遊びは当時も今も、あまり変わっていないですね。

僕は「教育」や「子育て」の話となると途端に険しい顔になってしまいます。難しい話はちょっと苦手です。あまり考えずに自分が楽しいことにこだわるという在り方で遊んでいます。例えば原っぱ大学で出会う子ども達とは「一緒に遊んでいる仲間」として接したい。自分が嫌だと思った時や、自分が一生懸命作ったものを壊す子がいたら「叱る」のではなく「怒り」ます。自分の子どもには、なかなかできないんですけどね。〝いつもいるおじさん〟くらいでお互いちょうどいいなと思っています。遊ぶ相手が僕である必要もなくて、その瞬間に何かを一緒にやって、その子も楽しければそれで良いなぁ、と。

それが大人でも同じで、一緒にものづくりをすることや同じ方向を見て何かをすること、それ自体を楽しみたいです。山でしかやれないことにはかなりこだわっていて、始まった当初から一貫しています。例えば村やの土は粘土質なので土器作りもできます。少量の砂と混ぜて形を作って、乾いたらピザ釜で焼いてみる。温度調節が難しくて焼き上がるまでに割れてしまう事の方が多いのですが、それでも何度も挑戦することが面白いです。こうやって、何か作るのであれば山にあるもの、落ちているもので作りたい。今後ももちろんそうしていきたいです。

歩いて行けるところに感じる小宇宙。地元には面白いことがまだまだある

村やが逗子以外の場所にあったらこんなに入れ込まなかったように思います。理由は分かりませんが、僕は故郷を大事に思っていて、その地元の仲間の活動にコミットしている。それだけです。 逗子は海も面白いし魅力的ですよね。

数年前の原っぱリトルの海遊びの日に、カニをとってみんなで食べたんですけど、それ以来僕はその美味しさが忘れられなくて毎日のようにカニを捕りに行きました。自分でとったものは、本当に美味しい。その後、自分でカニ捕り棒も作りました。網の部分から自分で作ったんです。道具にもとことんこだわりたいので。また、昨年夏の終わりに伊豆のヒリゾ浜にシュノーケルに行って素潜りに目覚めたことで「僕は海のことをまだまだ分かっていなかった」と思いました。そこからは素潜りの楽しさが病みつきになり、ヒリゾ浜以来、逗子や葉山でも素潜りを楽しめるスポットを見つけては潜りに行っています。

「歩いて行けるところに面白いことがある」というのがとても好き。長時間かけて、どこかへ遊びに行かなくても身近にまだまだ遊べるところがある。そういう場所に小宇宙を感じてしまいます。僕は釣りが好きですが、海の中を見ていたら、素潜りと釣りの魅力が繋がったんですよね。自分の落としている餌が海の中でどういう感じになっているのか、狙っている魚は海の中で普段どのようなところを通っているのか、どのような場所に隠れているのか、どんな餌を食べているのか。

潜った時に、海の中を自分の目で見たことで、釣れる割合が増えたことが本当におもしろい。釣りって科学だなぁと思います。でも、知ったつもりになっても、生き物が相手なので100パーセントの理屈だけではうまくいかない、というところも面白い。よくスタッフのこどもたちと一緒に釣りに行きますが、人に頼らず自力で釣ってもらいたいので僕は面倒をみません。時々、こうやるといいよ、いや、こっちのやり方の方ががきっと釣れるなど、相手が子どもとは言え自分と相手の意思がぶつかり合う時があるのも面白いです。

自分の興味があることを純粋に知りたいだけ。探求する日々

学生時代に着ていた白衣をウェットにスーツに着替え、地下だったのが海底になって、また生き物を研究する日々に立ち戻ってきたような感じですよね。海を制覇する日が来たら、いつかやりたいと思っているのは、地元田越川の生き物調査です。網を持って、長いオーバーオールを着て川を遡って草をガサゴソかき分けて進みながら、地元の川がどうなっているのかをただただ知りたい。ウナギが結構いるみたいなので釣ってみたいし、食べたいです!逗子の海や川は広すぎない規模感でちょうどいい。自由に遊べる上に雰囲気がとても良いので、この規模の中で楽しんでいきたいです。

生き物は奥が深すぎて永遠に遊んでいられますね。ただそれを、人にも広めたいとか、みんなに見せたいという気持ちはあまりなくて。ただただ、自分が知りたいことを、調べていきたいです。川を調べていくと、きっと今度はそれが山にも繋がる。そうやって、地元の生き物を制覇出来たら嬉しいですね。

僕の人生、本当に右へ左へという感じでここまで来たんですけど、仕事や遊びとのバランスがこの先もずっとこれで良いのか?と言われると迷いがないわけではありません。別の方法があるのかもしれない、とちょっと気になっちゃう時もあるし、今の若い人にいろいろと意見を聞いてみたいような気もします。ただ誰かに聞いたようなことをなんとなくやっていっても形にならないと思うので、自分の中にあるものを形にしていくしかないし、勝負するなら尖ったものをやらないと。万人には通じなくても、それを本当に分かってくれる人に価値を届けていけたら良いのかなと思っています。