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原っぱ大学 働きごこちインタビュー Vol.3 山田泰子

一人ひとりを見つめ信頼する意識を、太陽のようにあたたかく広げる存在


山田泰子 Taiko Yamada
神奈川県藤沢市辻堂出身、海のある暮らしで育つ。

年の離れた妹のお世話を好み、学生の頃からとにかく小さな子どもが大好き。 子どもたちに囲まれる仕事を目指して大学へ進学。 大学では持ち前のキャラクターから生徒会長を引き受ける。大学卒業後、11年間に渡り幼稚園の先生を勤める。 主に年長クラスを受け持つことが多く、後期では主任となり新人育成や研修づくり、 新しい保育環境を考えるプロジェクトなども担当。

31歳で退職し、長男と次男を年子で授かり子育てをたっぷり楽しむ暮らしへ。 子どもたちそれぞれの良さ、持って生まれたものを見つめ綴ったブログは7年目に突入。 原っぱ大学との出会いは、近所で開催されていたダンボールハウス作りのイベント。 そこでガクチョー(塚越)と初めて会う。立ち上げ期である原っぱ大学0期コースへ家族で参加。 その思い切った遊びっぷりからスタッフへスカウトされる。

その後、原っぱ大学リトルコースやセイシュンラボコースなど、幅広い子どもたちと関わる。チャイルドマインダー資格(0〜13歳までの子どもを自宅で託児できる資格)や心理カウンセラー資格を活かし、自分自身とつながる「たいこさんのあれこれ語る会」年に一度だけ開店する「スナック泰子」などを主催。

*インタビューの場所は、子ども時代に遊び場だった江ノ島の磯と今でも時々訪れる江島神社です。御祭神が、三姉妹の女神様ということでシンパシーを感じるそう。神社内を通り抜けて、よく遊びに行った磯へ。

幼稚園が大キライだったのに、20歳で幼稚園の先生になる

私は海のある辻堂で生まれ、地元で小中高と育ちました。三人姉妹の真ん中で、末っ子の妹のお世話が大好きな子どもでした。ミルクをあげたり、おんぶしたり、ほっぺを触ったり。昔から小さな子どもが好きだったけど、高校生の時に「すごく好き」だと自覚しました。例えばカフェで赤ちゃん連れのママがいたら、隣にスッと座って「うわぁ〜かわいいですね!」と声をかけてしまうほど。全然知らない方ですが可愛すぎて引き寄せられてしまう(笑)。

一緒にパフェを食べていた友達に「たいこは異常なほどに小さい子どもが好きなんだから、そういう仕事をすればいいじゃん!」と言われて。最初は、幼稚園の先生になりたいわけではありませんでした。実は私自身、幼稚園が大キライな子どもだったので、保育士でも、託児でも、お母さんでも「子どもと触れ合える立場」なら何でも良かったんです。将来、何になるか決めてはいませんでしたが、とりあえず幼保の資格を取ろうと思って。受験勉強ではなく、資格を取れる短大の指定校推薦をとるための準備をしました。短大に進学して幼稚園の先生になる資格をとりました。その後、すんなりと就職も決まって、20歳から31歳までの11年間は幼稚園の先生をやっていました。

先生として働きはじめ、子どもたちの様子を見つめながら、だんだんわかってきたのは家庭環境を作り出す親の影響力です。子どものさまざまな行動は、すべて家庭環境と紐づいていると気付きました。家庭環境にコミットしたいと思い立ち、23歳でチャイルドマインダーという資格を取得しました。それは0歳から13歳の子どもたちを自宅で託児できる資格で、幅広い年齢の子どもたちのことや家庭のことを学びました。私は年長さん(5歳児)を担任で受け持つが多く、行事の多い年長さんは他の学年と比較して先生が超多忙でして。私の元気いっぱいキャラが影響したのでしょうか・・・年少さんの担任も希望したけれど叶えてもらえませんでしたね。一度でいいから担任してみたかった(苦笑)。

子ども一人ひとりの持っているものを見つめる

私は子どもたちを「集団」として捉えるより「一人ひとりを見つめること」が好きでした。参観日があると保護者の方から「たいこ先生は一人ひとりをきちんと見てくれるので安心します。ありがとうございます」と言葉をいただくこともあり、嬉しかったですね。

クラスを集団としてまとめることは簡単で、子どもたちの気を引いたり面白いことをしたり、いくらでも出来ます。しかし私は受け持った30人の子どもたち一人ひとりを見て「この子はこういうことが好きだから、劇の裏方があってると思う」「主役になる子だけじゃなくて、その子が向いている部分で輝かせてあげたい」と考えることが好きで、それぞれが、その子らしく過ごす環境を作ることに楽しみを感じていました。

また問題行動を起こす子ほど、愛おしく大好きでしたね。その子たちを見ていて「(その子の意志を無視して)無理に何かを直したり、苦手なことを克服したり、そんなにどうこうしなくてよくないかな?」と思っていましたね。例えば、 ある子が半年かけて私の名前を覚えてくれて、ある日、大きな声で名前を呼んでくれたことがあります。もう嬉しくて嬉しくて、ずっと覚えていますね。その子は途中で退園してしまったのだけど、今でも年賀状のやり取りしています。

がむしゃらに働き、違和感を溜め込んだ経験は今の自分につながる財産

子どもたちや保護者の対応など業務をこなしながらも、少しずつ自分の中に違和感も生まれてきました。「集団とは一体なんだろう?」「子どもたちの遊びを時間で区切るって変だよね」「大人が今日はこの遊びをしましょうって決めるのも変だよね」「それでいいのかな?」と思い始めました。

幼稚園協会が主催している研修へ行った際に、森の中で一年間かけて、園長自らがトンカンと小屋作りをしていました。森のようちえんなども見学し、どんどん自分の視野が広がったことも重なって「大人が決め込んで保育するのはつまらない」と感じ始めました。せっかく外で学んだことを現場で活かせない私自身のジレンマもあったんでしょうね。

一方で園から「たいこ先生の好きなこと、得意なことを自由に保育へ活かしてごらん?」と背中を押された時に、自分の好きなことがわからないという事実にも直面しました。自分のことがわかってないかも?と衝撃で。私は子どもたちと何をクリエイションできるのだろう?と自問自答しました。初めて自分自身が作り出すことへのコンプレックスがあったことに気づき、これまで明るさと勢いでやってきてしまった。いざ自由にやっていいよ!と言われると、不安になる自分がいました。それを自分自身で受け入れてからは、子どもたちに任せて、彼らの素晴らしい創造力に助けてもらいましたね。

自分で決めると、自分が楽しい「ぜんぶ子どもたちが作る劇」

年に一度、全クラスで演劇の催し物をやっていたのですが、それは内容全てを子どもたちが決めて作り上げる劇でした。ストーリーも役名も衣装もセリフも、全て子どもたちが主導で行います。ものすごく大変だけど本当に楽しかった!!子どもたちから、どんどん出てくるアイデアをぜーんぶ取り込んで反映していくし、子ども本人がやりたい!とアイデアを出しているので、全員がやる気なんですよね。とても主体的に動きます。

渋々やらされているものとは全然違っていて。子どもたちが自分で考えているから、劇もすごく面白い。クラス全員の子どもたちの良い所が引き出されていて、誰も置き去りにしない。置き去りにならないことが「公平」だと思うし、単に出番が多い・少ないではありません。私はこの子どもたちが作り上げる劇が大好きでした。この時の感覚や経験は今にすごく通じていますね。

27歳から担任を離れて全体を見る主任の立場になりました。保護者のクレーム対応や新人の育成、新規生徒の集客などが主な仕事です。当時の私は、まだ一本軸が通ってなくて。園の方針が自分の考えと合致しているのかどうか分からず、悩みました。

保護者から相談されれば「そうですよね」と答え、園長に相談したら「そうですよね」と答えて、結局は板挟み状態。自分は何を大事にしたいのかわからなくなってしまったし、相当疲れていました。担任を持っていないので、大好きな子どもたちとも触れあえず、保護者対応や園の集客に役割をシフトしないといけない。若手の先生を対象にした育成研修では、上の方から「若手の良い所を探してあげなさい」と軽く言われて。それが簡単にできればこんなに悩んでない!と心の中で叫んでいました。

今思えば、どうもしなくてよかったのに、当時は、私がどうにかしなきゃいけない!と思い込んでいたし、がむしゃらな姿勢で課題に向き合っていました。そうやって自分のなかに違和感をたっぷりと溜め込んで「本来はもっとこうなんじゃない?」という視点がどんどん知見として積み重なっていきました。今につながる活動の原点となる貴重な経験ができたので、幼稚園でお世話になった方々にはとても感謝をしています。

我が子育てに没頭できることが、最高に楽しく最高に面白い日々

そして、幼稚園の先生を辞めてからは心底楽しかった(笑)子どもが年子で産まれて、「その子の持ったものをそのまま活かしていけばいいんだ」と思って子育てをしました。もちろん生活のことは母である私がやるけれど、この子がどう育っていくかをしっかりと見たいなぁ、と思って、年子だけど2人まとめて育てるのではなく「この子はこの子で生きなさい!」という感じでした。

今までは幼稚園で30人近くの子どもを私ひとりで見てたけれど、シンプルに、たった2人でいいんだー!と思えたし、ともかく子どもたちが可愛いし、面白い。時にはイライラもしたり、夫にイヤな感じで当たったりもしたけれど、子どもたちが幼稚園に入るまでは母子でベッタリと過ごしました。子どもたちを連れて徒歩1分の公園や何もない野原に出かけて、そこに着いたらおにぎりだけ持たせて、それいけー!って遊ぶんです。それが3年間毎日で、私は幼稚園の先生改め「公園のヌシ」って言われてました(笑)。

夫が盆栽修行を始めたこともあり、長男が年長、次男が年中になる時に辻堂から埼玉へ引越ししました。長男は合計4つの幼稚園に通いましたが、最後に通った幼稚園は「泥んこ幼稚園」で、それがものすごく良かったんです。初めて見学した時、園庭に小高い丘があって、そのてっぺんから先生がタライで水を流して、先生自らがピャーっとお尻で泥滑りしていたんです。そうです、原っぱの泥滑り台の原型です。長男は着替えもないのに、すぐに泥んこで滑っていて入園を決めました。その園は、親でも泥滑りできる日があって当然夫婦で泥滑りしてましたよ。

その頃ちょうど逗子で始まった原っぱ大学0期に家族で通い始めたんですね。今や名物になった泥滑り台ですが、当時はまだ誰もやっていなくて、ただの傾斜しかありませんでした。ある日、ペットボトルの水を夫が山に持ち込んで、原っぱの山の斜面で初めて泥滑りをしました。私たちはすでに幼稚園で経験済みなので、へっっちゃらでしたが、その時のガクチョーの表情はよく覚えていて、「え?なに?何が起きたの?なんで、そんなに泥だらけ・・・?」って顔していましたね(笑)

原っぱ大学との出会いのキーワードは、遊びの感覚が似ていること

原っぱとの出会いは、埼玉に引っ越す前で、近所の公園(辻堂海浜公園)でダンボールハウスを作るイベントが最初でした。たまたま公園へ夫と長男が遊びに行っており、「子ども原っぱ大学という大きなダンボールの家があって、面白そうだから、色々聞こうとスタッフを探したけれど、誰もいなくて・・・好きなように色を塗っていいって書いてあったから」と夫と長男で色塗って帰ってきたんです。

時々イベントをやってるらしいという情報だけ掴んできて、その後ネットで調べたんですよね。そしたら、今度農園で秘密基地作りのイベントがあることがわかり、子どもたちを連れて行きました。そこで初めてガクチョーと出会いました。ざんざん遊び尽くして楽しく帰ろうとした時に、ガクチョーから「また辻堂の海浜公園でイベントをやるから来ませんか?」と誘われて。さらに丁寧にメールもくれて、随分親切な方だなぁと思っていました。

ガクチョの初対面の印象は「とてもニコニコしてて、優しそうー!」「対応が丁寧な人だなー!」「マメだなー!」という感じで、原っぱのスタッフさんたちがみんないい感じに手を出さなくて、ガクチョーは本気で遊んでいましたね。我が家の日常と似た価値観で、でも家じゃここまで出来ないところをやってくれたので、とても嬉しかったです。

そして海浜公園のダンボールハウス作りのイベントに行ったら、ガクチョーから「あ、山田家はココで作ってくれます?」と場所を指定されて。なぜか一番目立つ場所。その時はあまり深く考えませんでしたが、我が子たちの思い切った遊びっぷりに目をつけたんでしょうね。今思うと、うちはサクラ?賑やかし?だったのかも知れません(笑)ダンボールハウスを作りながら「夫が仕事をやめて盆栽の修行をしていて〜」と世間話をしていたら、ガクチョーから「ぜひ家族で逗子に遊びに来ませんか?!せっかくなんで盆栽作りますか!」といきなりのオファー。素早いです。

そして、盆栽を作るために手作りの器を持参して行ったら、これまたガクチョーがお気に召した様子で(笑)わざわざ埼玉の自宅まで器作りを教わりに来たんですよ。そこからトントン拍子で「子ども原っぱ大学 山田家とゆるり盆栽学科」が始まり、出会って1年も経たずに一緒にイベントをやるスピード感です。そして1年間のコースにカタチを変えた原っぱ大学へ来ませんか?と、またガクチョーからお誘いいただいて0期に参加しました。また次の期も参加したいなぁと思っていたら、そのままスタッフになってもらえませんか?とお声かけいただいて原っぱ大学1期のサポートスタッフに。こちらもトントン拍子でしたね。

小さい子を対象としたリトルコースの発案者は、我が息子

原っぱ大学1期のサポートスタッフをやるようになった頃、埼玉から地元の辻堂に戻ることになり、次男は転園せず、小学校に入学するまで、その日に行きたいところへ出かけて好きなように過ごす「みちくさ保育園」をやることになって。

次男と私の野望が詰まったプロジェクトですね。小さい子どもたちがいる友達親子を誘って、原っぱのお山にもぷらぷら遊びに行くことに。その時に原っぱの圭子ちゃん(創業メンバー)も来てくれて、子どもたちが遊ぶ様子を見ながら「こんな小さい子でも山で思いっきり遊べるんだ!」と隣でつぶやいた後、「これは(企画として)イケるな・・・」と商才の瞳がキラーンとしていました。また別の日にガクチョーから「たいこさん、真面目に小さい子のコースをやってみない?」と言われて、その時「いいっすねー!いいっすねー!」と答えて。そこからスルッとリトルコースが始まりました。素早いです、本当に。平日リトルコースが始まり、その後週末リトルコースが始まりました。

原っぱ大学で仕事していて楽しいことは、愉快な仲間と仕事できることと、遊んでいるんだか働いているんだかわからない感じが気に入っています。遊びごころをふんだんに活かせる職場だし、私は息子たちも連れて行くので、彼らが山でコロコロ遊びながら親以外の大人たちとどんどん友達になり、子どもたちにとっての真の理解者に出会えたことが嬉しいです。

そして、私が何を大事にして生きているかを言葉じゃなく働く姿で、子どもたちに伝えられることもありがたいです。ピンポイントだと、私は探検が好き。未開拓のところへわしゃわしゃ入るのが好き。そして、参加する一人ひとりがそれぞれの安心感で、それぞれのやりたいようにできる場を担保できることや、子どもたちに「いいよ、いいよ、やりたくないことはやらなくて!」って堂々と言えることが嬉しいですね。

今は原っぱで働くスタッフのチームがどうすればもっと良くなるか?ってことに興味があります。私は人軸でコミットしていきたいし、スタッフそれぞれが何を望んでて、今どんなところにいて、どう感じているか?をシェアしたいです。一人ひとりが一番しっくりくる部分でそれぞれ輝いてほしいから、その確認をしていきたい。

原っぱが大事にしていることと私が大事にしていることは、とてもリンクしています。例えば、変容していくことや、心地よく在ること、あちら側とこちら側という境界線をひきたくないところとか。スタッフ一人ひとりの幸せ度がアップすると、チームがどんなふうに変容するか見届けたいし、私自身の幸せ探求も欠かせないと思っています。

出会った人と深く関わり、その人なりのストーリーや存在を確認する

「たいこさんとあれこれ語る会」は、2017年9月から始めました。きっかけは友達からの提案です。子育てや自分が大事にしている根幹の話を、ある友達と頻繁にしていました。お互い、人と関わる仕事をしている共通点もあり、結局「自分で決めていく」っていうことが幸せにつながるよね、とか、子育ても我が子が自分が決めていくのをどう親がサポートしてくのか、など。

ある日、友達から、こうやって話していることを、今後いろんな人に語る機会を作ってみない?と言われて。それによって子育てが楽になる人がいるんじゃないか?と。であれば「子育てのことは、つまり母自身のことにつながる」という私の経験をヒントに、子育てのお話会じゃなくて、自分自身を語りたい人、いらっしゃい!というカタチをとりました。私も伝えていきたい部分であったし、幼少期に大事なことってここかな?と見えてきた時期でもあったので。どんな幼稚園がいいですよ、ではなくて、人の根幹の部分を探している人に届けばいいなぁと思ってやっています。

子どもの話はほとんどしていなくて、みなさん自分自身の話をしてます。そうやって自分を自分で引き受ければいいんですよ、どんな自分も。私は自己探求型で、自分の本質を突き止めるのが好きだし、それをシェアしたいニーズがあって。楽しいことは独り占めしたくないし、自分が楽しかったことは人に伝えたい。その延長で自分が大事に思っていることは、自分だけにとどめないで、シェアしていくことで誰かにとってもお得だったな、という循環ができればいいと思っています。

カウンセラーの資格を取ったきっかけは、自分の軸を太くしたかったことが一番ですね。ココロって何ですか?依存って何ですか?と考えさせられる出来事が身近に起きたこともあって、じっくりとココロのことを勉強したくなりました。誰かが助けてって言ってくれた時に、私ができることは何なのか?人それぞれで、悩みを聞くことで元気になる人もいれば、素敵な部分を引き出して自分の言葉で語ることで大丈夫だった!って思える人もいます。出会った人にいろんな私が出せたらいいなと思っていますね。

良い距離感は、自分と相手の領域をお互いが守ること

また良い関係性を続けるために、自分と相手の領域を守ることの大切さを実感しています。相手を思うがゆえに、守らないといけないことがあります。私は、自分の領域に入られるのも好きじゃないのけど、相手も同様。無意識に手を差し伸べることも領域に入り込んでいることになりますから。

自分を大切にする気持ちが枯渇してしまうと外に戦う対象を見つけて、外へ発散してしまいます。きっと自分の深いところを癒したりヨシヨシしたいところを、外に向けて攻撃してしまう。不安を攻撃でごまかしてしまうんですね。「あの子がイヤだから、我が子とクラスを別にしてください」と先生にクレームをつけるのはその象徴です。自分の欲しているものを子どもを通じて実現しようとしてしまうんです。

周りの目ばかりを気にしてしまい、誰からどう見られるか?その評価が恐れになってしまう。幼稚園の先生をやっていた時は、私の意志を確認する余裕もなかったし、相手に伝える言葉にする勇気もなかったし、未熟でした。今は、ただただ己の存在を確認するだけでいいと思っていて、自分にしかないストーリーがある。それはみんな違うから、違いを認めるってよく聞くけれど、自分って、どんな人間なんでしたっけ?ってただ確認するだけでいい。そうすれば、自分で自分を認められるし相手のことも認められると思います。

調和やバランスが大切。愛がベースになっているものしか仕事にしたくない

この先やってみたいことは、いろんなところへ行きたい。旅がしたい。とにかく遊びに行きたい!遊ぶために働いているようなものなので(笑)今日も幸せだったなぁと言いたい。今、毎日ちゃんと言ってます。どんな日も。良いことばっかりじゃなくても。そう思って日々を生きていれば死ぬときも幸せだろうなと思うんですよ。自分にしかないセンサーで日々目の前のことを選んでいけば、きっとそうなるだろうと思っていて、この先どんな仕事をしているとか何をしているかは重要ではなくて、私の中の幸せポイントが満たされていればいいですね。

男前なときと、母さんっぽいバランスが崩れると結構ダメなんですけれど、私自身は変容をナチュラルにしていきたいし、今のままでいいとは思ってなくて変わっていく自分を楽しみたい。振り返って見た時に「まさかこんなことやってるなんてね!」って、面白がりたいなぁと思っています。ブログも7年ぐらい書いていて、何でそんなに続くの?って聞かれるんだけど、子どもとのことで書いておきたいことが多くて、子どもとの日々が続く以上、書き続けていくかな。いつか本も書いて見たいし、書くことが仕事になったら嬉しいですね。

幼稚園の教え子たちが、いつか親になって原っぱに来てくれないかな?とワクワクしています。保育に関わる若い子たちが元気になるようなこともしたいし、子どもたちのそばにいる人を元気にしたい。そして、子どもたちをいい感じに信頼して、ほっとける大人を増やしたい。私は、年子母さんを10年以上やってきて、ずっと面白がってきました。自分の子ども時代の感覚で、彼らに乗っかって楽しんできた気がします。ワクワクする在り方を一緒になって再現できたことは本当に楽しかった!これから子どもたちは思春期に突入するし、私は私で、次に行こうかなと思っています。