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原っぱ大学働きごこちインタビューvol6 佐藤桂子

関わる保護者から寄せられる絶大な信頼。自分を大事にできる居場所で、自分の足で1歩ずつ。

佐藤桂子(サトケイ)
Keiko Sato
山形県に生まれ静岡市で活発に育つ幼少期から習い続けた空手は黒帯まで取得 。
将来を考え始めた頃に保育を専門とする道を目指し、地元静岡の短大に進学する。 保育の現場に出る前に「人」について学びを深めたいという気持ちから、短大卒業後は都内の大学に編入学し、人間科学を専攻する。 一般企業への内定が決まっていたものの「資格を活かし、ダイレクトに子どもへ尽力したい」という気持ちから保育の現場に出ることを選択。 10年間で2か所の保育園に勤務し、保育士として様々な経験を積む2013年原っぱ大学と出会う。2019年3月に保育園を退職し、現在は原っぱ大学リトルコースのサブリーダー。一方で、ひとりひとりにしっかり寄り添うシッター業という柱を持ち、ひとつひとつを自分で決める働き方への挑戦を楽しむ日々。

※撮影場所はシッター業でお預かりする子どもたちと出かける自然公園。美味しいお弁当を一緒に食べて、一緒に遊ぶ。見守るというより、気が付けば自分も夢中になって遊ぶことが多いとか。

ひとりの人間としての子どもが好き。ずっとなりたかった保育士としての日々がスタート!

小さい頃から保育士になりたくて、地元静岡で、保育専門の短大に進学しました。短大を卒業してからすぐに保育の現場で働くことも考えたのですが、保育の知識を机上で勉強しただけで現場に出ることに少し抵抗を感じて、東京都内の大学(人間科学部)へ編入しました。私は「子どもが好き!」というより、「ひとりの人間としての子ども」に興味があったので、人間について詳しく学びたいと思いました。また暮らし慣れた土地を離れて独りで生活をしてみたかったという面もありました。私は長女なので、しっかり者のお姉ちゃんの役割から解放されて自由に過ごしたいという気持ちもあったように思います。

就職活動をする中で、保育の現場だけでなく一般企業の内定も頂きました。子ども向けの文房具を販売する企業でしたが、物やサービスを介して子どもと関わる仕事ではなく、「自分が大事にしていることをダイレクトに子どもたちへ届ける仕事がしたい。実際に子どもたちと触れ合える現場に行きたい」と気付き、企業ではなく保育園を選びました。

最初に勤めた園は都心にある保育園で、約3年間働きました。企業型の保育園だったため、子どもを健やかに育てることや、子どもの心を大事にすることよりも、利益を生むことを優先しているように思えてしまって。保育の内容や働き方にも違和感があったため、離職しました。私は子どもたち一人ひとりから自然と出てくる気持ちを尊重する保育をしたかったけれど、この園は子どもたちにやらせなくてはいけないことが多くて。リトミックや英語に体操、行事も四季折々の催しを全部やりましたし、その準備で休日出勤も当たり前。3年目の馬力でなんとか頑張ることが出来ていたものの、あるとき「これは違うな」と確信しました。なりたかった職業である保育士をこの先も続けるためには、ここで終わりにするのではなく、他の場所でもう一度やろうと決心しました。今思えば、自分の望む保育が実現できないまま、保育士を終わりにするのは嫌だったんでしょうね。

ありがたいことにすぐ次の職場に転職することができたのですが、最初は衝撃を受けることばかりで、新たなやり方に慣れるのに時間がかかりました。前の園とは違って、子どもたちが一斉に活動する時間はあまり無く、自由に過ごす方針。私はこういう保育がしたかったので、それはとても良かったのですが、20人以上の園児たちをふたりの保育士で担当していたので、目が行き届かないのではないか、怪我が多発するのではないか、と必死でした。徐々に慣れてきた頃には、全体を見る立場や延長保育、病後児保育、リーダー保育士として各行事全般を取り仕切るなど、様々な経験を積ませてもらいました。

楽しくもあり、膨らんでいく違和感と葛藤に苦しんだ日々

忙しいながらも楽しく働いているうちに、自分の中で次の違和感がむくむくと沸いてきました。保育園が提供しているサービスのひとつひとつが、本当にその子や家庭にとって必要なことなのだろうか。と感じるようになったんです。そのきっかけは、家庭の在り方に対する考え方が「自分にとっては普通でも、世間にとっては普通では無い」ということの気付きでした。

私は、家族揃って夕飯の食卓を囲みたい。家族とはそういうものなのではないかと思っていたんですね。お迎えの遅い子どもは保育園で夕飯を食べていくのですが、それはそれで良いと思っています。でも、食べている途中でお母さんがお迎えにいらしても、子どもが食べ終わるまで外で待ってくれているんですよね。その姿を見る度に、現実的には無理だとしても、「せっかく間に合ったのであれば、お母さんも中に入ってきて、親子で一緒に食べられたら良いのになぁ」と思っていました。「病気の時にそばに居て欲しいのは私よりもきっと親だろうなぁ」と、病後児保育に対しても葛藤が出てきてしまって。一生懸命働く親御さんたちを責めているわけではなく、ただシンプルに、自分のイメージする家族像と目の前の家族の在り方との違いに困惑してしまったんです。

保育園が家庭の代わりに出来ることは山ほどあって、保育園がやらねば誰がやる?とも思っていたので、自分に任されている役割として割り切ってもう少し頑張ろう!と自分を納得させていました。でも、割り切ったところで葛藤は続いていて、「保護者への支援って、なんだろう。」ということをよく考えるようになりました。

子どもにとって良い事と、親にとって良い事が、どうしても一致しないような気がしてしまって、この答えが出ずに悶々としていました。個人的には、お母さん方に一人の時間を持って欲しいし、親の心が健やかであることはとても大切だと思います。でも、保育園側のサービスが行き届けば行き届くほど、親子が一緒に過ごす時間を奪うことになるのではないか。親に心の余裕は生まれるけれど、子どもが満たされるものはちゃんとそこに在るのだろうか。と、違和感は増していくばかりでした。(苦笑)

私の仕事って何だろう

子どもたちが家庭でどのように過ごしているか?など何気ない会話を保護者の方々とたくさんしたいと思っていました。しかしコミュニケーションをとりたくても送迎の時間だけではとても足りません。送迎以外で時間を設けるとすれば、自分も勤務時間外に時間を割かないといけない。親にしたいこと、子どもにしたいこと、この全てを実現するには自分がもたなくなる。そう分かっていても、なんとかしたくて。

なんとかしたい気持ちと裏腹に、保護者が求めていることは「我が子が保育園にいる間、安全に楽しく過ごしてくれること」であり、私とコミュニケーションを深めることではないと気づきました。その気づきは「私の仕事って何なんだろう?」という更なる違和感となって自分に返ってきました。

その先は、自分への問いの連続です。(笑)
「これは本当にやりたいことなのだろうか?」「保育園の役割とはなんだろう。」「この先も今の環境で尽力出来るのだろうか?」
仕事はちゃんとやりたい!という真面目な性分なので、湧き起こる問いは拭えず、苦しみましたね。

それに加えて、自分が先輩という立場になってくると、園にどう貢献するか、後輩をどのように育成していくか、という任務も入ってきます。後輩の話は聴いてあげたいけれど、ダラダラと職場に残るような毎日が続くと自分が疲弊する。先輩から学びたいけれど、そのために毎週末を上司との飲み会に費やすことになるかと思うとそれもしんどい保育に対する熱い想いには自信がありましたが、ダラダラと仕事はしたくない。職場の環境に文句があるというよりは、自分の時間の使い方や働き方について考えるようになりました。

原っぱ大学には、「自分を大事にできる時間」が在った。

「これは私のやることなのだろうか?」「私は一体何がしたいの?」と自分自身への問いばかりが膨らみ、もっと自分のことだけを考えたいという気持ちが芽生えてきました。このままでは、自分の心がどこかへ消え失せ、楽しくなくなってしまう。もっと自分が楽しいと思えることをしたい。保育や普段とは全然違うことをして気持ちを発散させたかったんですよね。

その頃出会ったのが、原っぱ大学の前身である子ども原っぱ大学の「間もなく壊される予定の都会ビルでプロダンサーと一緒に踊りまくる!」というイベントでした。面白そう!とピンと来て、飛び込むようにひとりで参加してきました。自身の違和感のふつふつとした沸点と、楽しいことに出会いたくて、いても立ってもいられない衝動と、すべてのタイミングが自分の中でピタリと合ったのだと思います。参加して初めてガクチョーや原っぱ大学のことを知りました。「逗子の山でこういう活動もやっているよ。良かったら遊びにおいで。」とガクチョーに教えてもらったのが原っぱ大学の立ち上げ時期でした。

保育士の仕事をしながらだったので時々でしたが、原っぱ大学のお手伝いをするようになりました。誰かのためではなく、自分を思いっきり解放するために行ってました。行くたび、毎回毎回本当に居心地が良かったんです。スタッフたちも参加者も含めて、「ここに集う人」のつくる雰囲気がとても心地良かったので、いつしか、私が原っぱ大学に出向く目的は、「人に会いに行く」ことになっていました。無理しなくて良いところと、普段とは全然違う仕事が出来ることが嬉しかった。保育園以外の居場所があることが嬉しかったし、プライベートでも仕事でもない居場所ってとても大事だなと思いました。

10年続けた保育士を辞め、目の前の人に尽力するシッター業へ

原っぱ大学の手伝いをするようになって、自分の興味が「子ども」から「大人」へと変わっていることに気が付いたんです。大人と言っても、働きながら子育てをする人に、自分は興味がある。数年にわたる違和感に加えて、自分の変化をはっきりと感じたことで、心の声に従うように「今だ!」と保育園を退職しました。この、働きながら子育てする人というのは原っぱ大学で働くスタッフたちでもあって、とても影響を受けました。

シッター業をやろうと思ったのは「親子の支援とは何か?」という、自分の問いをそのままにしたくなかったから。このまま立ち止まっていたのではその答えは一向に出ないと思ったからです。とことんこの問いに向き合って、自分の力で駆け抜けてみたくて始めました。短期のつもりで始めたのですが、やっていくうちに、自分はひとつの家庭と継続的にお付き合いすることが向いているなと気付きました。こうなりたくてやった、というよりはやってみて気が付くことが出来た。「編入してみて気付く」「保育園で働いてみて気付く」「原っぱ大学に行ってみて気付く」「転職してみて気付く」今までの私は、ずっと行動しては気付くの連続です。

シッター業の醍醐味は、やはり目の前の人に尽力出来ているという幸せを感じる時です。家庭にとって、子どもにとって、親にとって。ほんの少しの余白を作る人になりたいんです。いわゆるワンオペのお母さんのお手伝いや、夫婦でデートに行きたい時のお子さんのサポート、特性のあるお子さんの子育てサポート、お母さんたちの学びの時間のシッターなど、余白のためのお手伝いと言っても本当に様々ですよね。これらのサポートはどれも、自分にとって意義のある仕事だと思っています。私がずっと抱えていた葛藤の正体は「集団でやるのか、個でやるのか」という違いだけだったのかも知れないですね。

対価が目に見えて分かる、ということも、やりがいがありますね。 目の前の人のために時間を注げることはありがたいことですが、相手が誰でもいいわけではありません。 自分の理念を大事にして、時に線を引くことは、自分が仕事を楽しむ上で大事にしていることです。シッター業もサービスだけれど、対家庭、一個人という、顔の見える人に対して力を尽くせることはダイレクトにやりがいを感じるし、何より自分も心が保てます。それは10年という保育士時代の糧があるからであり、無駄ではなかったと思えます。今は、保育園時代にやりたかった「保護者との密なコミュニケーション」が取れますし、大勢の中のひとり、ではなく個人にサポート出来ることが嬉しいです。

止まらずに前に進みたい!後ろに体重をかけながら。

保育士を辞めてから1年が経ち、 原っぱ大学の仕事は私自身がとにかく楽しんでいます! 山で美味しいものを参加する皆さんと一緒に食べたり、水鉄砲バトルで思いっきり水を掛け合って逃げ回ったり、絵の具でぐちゃぐちゃにペイントをしたり。自分の小さい頃に好きだったことを思い出させてもらっているような感覚です。これは、参加する大人の皆さんの感覚に近いかも知れません。

働き方の面では、組織のひとりとしていつも決まった時間に出勤して、仕事の流れやルールが決まっていた保育士の時とは、頭の使い方が変わったと感じています。シッター業との両立のために、自分で仕事の時間を確保して、スケジュールを組んで。自立していないとできない仕事だなと思っています。原っぱ大学も組織だけれど、個人の能力ややり方に任されていることが多いのでとても良いなと思います。「私に出来ることは何か?」「出来ないことは何か?」ということを日々模索中です。この模索の日々は、半分楽で、半分怖いような気持ちです。(笑)

自分が決めたことに対して責任を取るのは自分ですよね。誰かが代わりに責任を取れるわけではないので、そういう意味で楽しさと怖さがあります。でも、怖いからこそ、そこに魅力が在る。「怖いけど、見てみたい。」という心理です。お化け屋敷のように怖い所へ入る時、後ろに体重をかけながら進むことってありますよね。今、私はその状態です。日々の暮らしがあって、他にも仕事を持っている中で、何を、いつ、どれだけやるか。それを、どのようにやるのか。その配分を自分で決めることが出来るということは、とても自由であり、自分にはまだ難しいなと思う時があります。

でも、進むこと自体に怖さは無いし、止まっているのも嫌なので、前に進みます!後ろに体重をかけながら(笑)

強みを活かしてずっと仕事をしていきたい。でも、一番の幸せは毎晩美味しいご飯を頂くこと!

最近気が付いたことですが、何かを自分で決めると、覚悟が決まりますよね。決めたことがぶれてしまうと、覚悟もぶれてしまうのだな、と。そして、それはゴールではなくてあくまでスタートライン。なので、今私は、原っぱ大学とシッター業という両軸の仕事でやっていくことを自分で決めて、スタートラインに立ったという気持ちです。

「この先の未来が明るい!と言い切ることは出来ませんし不安が無い訳ではありませんが、少なくとも、好きな仕事をしながら生活していくための手段と心づもりは持っているつもりです。以前、自分のことを「移動式ゲルのような人」と言われたことがあるんですね。あちこち移動して行くのだけど、ひとたび出会うと「ほっとする空間」という意味のようで、とても嬉しかったです。シッター業も、担当したご家庭から、「落ち着いてどっしりしてくれている」と言ってもらえたこともあって。それは自分の強みだな、と思っているんです。その強みを活かして、今はとにかく、目の前のことを積み重ねていきたいです。原っぱ大学の仕事も、シッターとしての仕事も、任された事の中で自分の経験値を増やしたい。シッター業は個人で動いているので、時々「チームで働きたい!」と思います。そういう意味では今、ふたつの軸のバランスがとれていると思っています。

いずれ環境や気持ちが変化したらまた保育園で働くことも視野に入れていますが、将来具体的に何をしていきたいか、ということは今の時点ではよく分かりません。 でも、働くことが好きなので、自分にとって大事な家庭像はそのまま守れる形で、この先もずっと仕事をしていきたいです。

私は毎日おいしく夕飯を食べることで幸せを感じるので、この先の日々もそうで在りたいですし、いつかは風通しの良い、日当たりの良い家に住みたいです。ささやかな夢かも知れませんが、日常の暮らしは豊かなものでありたい!という価値観はずっと大事にしていきたいので、譲れない想いとして持ち続けたいと思っています。