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原っぱ大学働きごこちインタビューvol7 大吉美穂

しなやかにアクティブに。自然な距離感で「人」に迫るフォトグラファー

大阪府堺市に生まれ 泉佐野市、阪南市で育つ。
京都の美術系大学を卒業後、デザイン会社に2年半勤務。
退社後は休日にエレクトーン演奏の仕事をしながら、平日はリクルートで働き、二足のわらじの日々を送る。
その後、演奏のバイトを辞めたことをきっかけに、リクルート内の業務が増えていくこととなる。求人誌の原稿担当や営業アシスタントとして働く。その後は同じくリクルート内の中古車情報誌で編集の仕事に携わる。 結婚を機に東京に異動。退社後に出産。
神奈川県の葉山で子育てをしながら、2015年にスタートした原っぱ大学「ゼロ期」から始まり現在もフォトグラファーとして多くの家族の「今」を切り取り続けている。
趣味はシュノーケル、素潜り、山登り、スキー、SUP。日本はもちろんのこと世界の行きたいところへ家族と共にどこへでも出向く。
一児(小6娘)の母。

インタビューの場所はよく訪れる一色海岸の「小磯の鼻」 ここでシュノーケルをしたり海に浸かる事が好き。

「気が済むまで徹底的に」仕事をしていた20代、30代

美大を卒業して、最初に勤めたデザイン会社には2年半勤めました。働きながらデザインを学べるのは楽しかったけれど、いつしか気が済んだので、退職しました。 その後はエレクトーン奏者として、結婚式場やレストランで演奏していました。演奏を途中で間違えても、「もともとこんな音ですよ~」という顔で弾き続けるようなところがあって、「あなたは間違えたことを人に見せない才能がある!」と言われていました。楽しく続けていた仕事でしたが、平日の仕事を増やしたかったので演奏の仕事を辞めて、リクルートでの営業アシスタント業務をやっていました。まだ大阪にいた頃です。

その後は、派遣社員としてリクルートのカーセンサー事業部へ異動しました。 カーセンサーは中古車情報誌で、私は大阪編集部の「何でも屋さん」でした。表紙や記事全般の窓口です。掲載前の記事をチェックして、締め切りを守ってもらうために担当の方に猛プッシュして、お金の勘定もする。当時は記事制作に関わるデザイナーさん、カメラマンさんなど様々な方々と飲みに行って、仲良くなってはまた飲みに行く、の繰り返しでした。順番は分りませんがとにかくそうこうしているうちに「仲間」になる感覚があって、とても楽しく働いていました。 仕事はとにかく忙しくて、夜な夜な仕事をしていました。終電にはとても間に合わず毎晩のようにタクシーで帰る日々で、徹底的に仕事をしていましたね。

その後、結婚と夫の異動を機に私も一緒に東京部署へ異動しました。何でもやらないといけなかったので、本当に色々やりました。デザインも覚えたし、原稿も書きました。部数の管理など、編集者が(本来の役割ではない)細かなことを、編集長と一緒にやるんです。当時のいわゆる「お偉いさん」たちは、昔気質の人ばかりなので、締め切り直前に打ち合わせたことを平気でひっくり返したりするんですね。それで、そのひっくり返されたものをどうするか、ということを常に考えて対処してきたので、鍛えられました。今では問題になってしまうような理不尽なことが平気で起こるんですよ!「はー?!」と呆れてしまうことも多々ありましたが、私は基本的に真面目なんでしょうね。何を言われても、抗うこと無く「分かりました!」と対応して、それがむしろ楽しかったんです。無風よりも、風が吹いた方が楽しいことってあるじゃないですか。どんどんこなしていると、こなせるようになる。「後ろに戻ってもしょうがない!そのような時間は無い!」と前に前に向かって進んでいました。

ちょうどその頃、リクルートに新卒で入社したガクチョーと出会いました。まだ当時はガクチョーではなく、ピチピチのツカコシくんです。編集部で鍛えられた私とツカコシくんは、大阪でも東京でも一緒に仕事をしていました。

今思うと、この頃は、「承認欲求」がたくさんありましたね。仕事の評価をちゃんと受けたかったし、 我ながら ガツガツしていたなぁ、と思います。色んな人たちが一緒に働いていたこともあったのでしょうけれど、血気盛んに働いていて、それが本当に楽しかったんです。「褒めてもらわないと居られない」という事では無く、シンプルに自分の手がけている仕事に対する評価が欲しかったのでしょうね。正社員ではなかった、ということも関係していたかも知れません。「マウント」についても最近よく考えますけど、あれ、嫌ですよねー!(笑)若い人にマウントとるような態度だけはしたくない、と思います。子育てもきっと同じで、「私は何でも知っているのよ」という姿勢は子どもにとって、というより誰に対しても駄目だよなぁと思いますね。

結婚して、しばらくは子どもがいる生活を想像していなかったです。でも、そろそろ考えてみようかな、と思い始めて、思い切って仕事を辞めることに決めたんです。もう自分は延々働いてきて、気が済んでいたので、仕事への悔いは全く無かったです。「気が済むまでやる」というスタイルが好きなんですよね。恋愛もそうでした。叶わない恋愛もあったけど、気が済むまで好きでいて、好きでいることに気が済んだ!と思ったら終わりにする。そこまでがしつこいんですけどね。(笑)

何も起こらないことを楽しむ娘との日々

退職して生活が変わったあとに、娘を授かったんです。仕事に未練はなかったので、産後も、社会から取り残された淋しさや、社会と接点を求めたい気持ちや、社会復帰したいという気持ちは全く無かったです。出産後は朝から晩まで、娘をじっと見つめるという日々でした。バリバリ仕事をしていた日々と比べると荒波からさざ波へ変わったような感じでしたけど、「何も特別なことは起こらないけど楽しい!」という気持ちでした。子育て以外は何もせずに、家にいました。当時は駒沢に住んでいたので、毎日駒沢公園で遊んで、1日が淡々と過ぎる。周りに友達がいたわけでもなかったので、飼っていた猫と娘と、のんびりのんびり過ごしていました。時々、成長段階のようなものをサイトで見ては、「我が子はどうかな?」と観察したりもしていました。「ほう、標準がこれということは、我が子はちょっと大きさが足りないなぁ」と、良い悪いでは無くてシンプルに「観察している」感じでした。

娘が1歳の時に都内から葉山へ引っ越しました。私は雑誌が大好きだったんですけど、中でも「ワンデル」という散歩の雑誌が好きでした。 確か5号くらいで廃刊になってしまったので、この雑誌を心に留めている人はあまりいないと思いますが。その雑誌に葉山が載っていたのを目にして、とても魅力的に思えました。自分が育った街が海に近かったこともあり、親しみもあったのだと思います。

引っ越した当初は6月で梅雨真っ盛りでした。たまたま修理中で車も無かったので、どこに行くにも娘を抱っこしておんぶして歩かないといけないし、「なんだこの淋しさは!」と淋しくなっては、逗子のガクチョーの家に遊びに行ったりしていました。しばらくすると友達も出来てすぐに解消されたけれど、一瞬孤独だな、と思いました。梅雨時になると、今でも時々あの孤独な感覚を思い出します。それに、何の知識も先入観もなく子育てを始めたので、もしふたり目がいたら、布おむつで育ててみたかったな、などと思うこともありますね。とは言え、当時も今も、葉山での子育て生活は楽しい!

荷物は少ない方が生きていきやすい」という言葉に共感

娘が2歳の時に東日本大震災があって、淡々としていた私の気持ちにそこで火がついてしまいました。「簡単に死んではいけない。簡単に死なない子どもに育てたい。」と強く思いました。その想いをどのように日々の中に落とし込んだら良いか、その時はまだ分らないまま、私と娘だけ関西の実家に1ヶ月ほど帰りました。そして葉山に戻ってきてから、友達に自主保育に誘われたんですね。山歩き体験に参加してみたところ、自分にとって妙に納得感があって。おむつをはずしたって良い、漏らしたら漏らしたで良いんだよ、という考え方が新鮮でしたし、「簡単に死なない子どもを育てたい」という想いと通じる気がしたんです。

2〜3歳の子が10人くらいで山を歩いて、先生2人とお母さん2人で見守るのですが、その時に出会った先生が、「人間には、どうしても持ちたい物があるんだけど、これがなきゃだめ、というものはない方が生きていきやすい。」ということをおっしゃったんです。この言葉がとても良いなと思いました。例えば海に入る時に水着がないと駄目、ということではなく、水着が無いなら服を脱いで海に入る。それだけのことです、という考え方。そういう出来事がいくつかかあって、とても良いなと感じたんです。私、物事を一度決めると早いので、「この会に入る!」とすぐに決めました。当時入っていた別の海遊びの会はすっぱり辞めてしまいました。

この自主保育の日々が本当に楽しかった。特別に自然派、というわけではない私を受け入れてもらえたし、他の方も感覚の似たお母さんたちでした。特別なこだわりがあるわけでもなくニュートラルでとても居心地が良かったです。子ども達も可愛かったですしね。通ったのは1年にも満たない間でしたが、今もその頃の友達とは仲良くしています。中には、住んでいる場所が遠く離れてしまったけれど、家族のような付き合いが続いているような友達もいます。

よく思うのですが、「勉強しなさい」と我が子に対して言うのと同じように、「自然派でいなさい」「お母さんと同じように山歩きを好きでありなさい」というのも一種の「教育ママ」であって、娘からすると親の押しつけなのではないか、と思うことがあります。でも、家族単位で動くことがまだまだ多いので、娘が海や山に出かけることを嫌がっても、最近は「嫌でも一緒にきて!これは家族行事だから!」と娘に対して堂々と言えるようになりましたが、一度はその葛藤を通りました。
やはり、人が「こだわり」から完全に解き放たれるのはなかなか難しいのでしょうね。

原っぱ大学初日。写真を撮ってみて」とカメラを渡され全ては始まった

自主保育を卒会した後、娘は幼稚園へ入園しました。娘本人の希望だったこともあり、そこでの日々も楽しいものでした。 その頃、原っぱ大学の先駆けであった「子ども原っぱ大学」のイベントには家族で3回程参加していて、更にガクチョーが逗子の山、「村や」を開拓すると知って家族全員で手伝いに行きました。「村や」の開拓は、ピザ窯作りのレンガ運びがとても大変だったのですが、娘はとても気に入って、毎週のように「村やに行きたい!」とせがまれていました。

原っぱ大学が立ち上がり、「スタッフとして何か手伝わせて」と申し出たものの、何をどう手伝えば良いのか分からないまま、ゼロ期初日を迎えたんです。そして、朝ガクチョーから突然カメラを渡され「今日は写真を撮ってみて」と言われました。 それまで写真の仕事などやったことがなかったので驚きましたがとにもかくにもその日は参加者の写真を撮ってみたところ、その仕上がりを見たガクチョーから「今後もフィールドの写真を撮ってほしい」と言われたんです。ナチュラルに無茶ぶりをされたとは言え、「写真を撮るスタッフ」という立ち位置は私に合っていて、とても良かったです。

原っぱ大学1期に来ていた男の子が印象に残っています。初回からずっとまったく笑っていなかったのに、1年の最後の最後で良い表情の写真が撮れたんですね。なんだか忘れられなくて、それをきっかけに写真にのめり込んでいきました。「上手」という表現はしっくりこないのですが、やはり写真は、場数を踏めば踏むほど上手になるんだな、と思います。「写真とは?」と聞かれると、それに答えることはまだ私には出来ません。まだまだ分からないことばかりですし、「撮ってみないと分らない」といつも思います。

被写体にひき込まれて自分の身体が動く。その時間が好き

写真を撮る時は、何も考えていないんです。気が付くと、遊んでいる子どもの、とても近い距離まで迫って寝そべったり這いつくばって撮っています。あれは、撮っている「その人」にただ集中して、ひき込まれるからなのでしょうね。「撮りたい人を撮っているうちに自分の身体が動いている」そういう時間そのものが好きなので、仕上がりは二の次なところもあるんです。ピンボケでも良い写真がある、と思うんですね。その人の個性がそのまま出ているから。

私はプロではないし、写真の全容が分っていないので、写真について語れることは無いのですが、 そんな自分にしか撮れないものもあるのかなぁと思っています。 望遠レンズが揃っていないので、その分とにかく自分自身が被写体に近づく。でも、シャイな子や大人には距離感を保つ。遠くから狙っても、気付かれたらやめる。そういう撮り方が私の撮り方なんでしょうね。そう思うと、「瞬間を待とう」など、撮っている時は色々考えてるのかも知れません。でも、夢中で撮っているのでそれを後から思い出すことは出来ないんです。

「写真のことは分からない」そう思い続けたまま5年程撮り続けています。それだけの年月、いろんな人を撮らせてもらうなんて、とてもありがたいことです。私の場合は、ただただ起こったことや状況を撮っているだけであって、「ありのままを映し出したい」とか、そういう想いも特に無いんです。それで良いのかな?と思うこともあるけれど、結局は「まぁいいか!」と思っています。

一緒に活動している原っぱフォトグラファーの写真を見ていると色々と刺激を受けます。「この人のように、もっと表情は撮れるな」など、新たな視点が生まれることもあります。 先日「貸し切りday」と言って、ひと家族で村やを貸し切って遊ぶというフィールドの撮影をしましたが、その時に来たある子を撮る時に、表情をたくさん撮ることを意識してみたんですね。コロコロ変わる表情がとても面白くて、夢中で撮り続けました。(どんどん変わる表情の面白さは、スタッフを撮っていても感じます。)被写体が素晴らしければ写真も素晴らしいと思うんですよね。素晴らしいその人を、そのまま撮っているだけ。このような話を他のフォトグラファーにしてみて、「ずるい!かっこいい!」と言われたりします。(笑) 撮影仲間との関係もとても良いです。刺激をくれる人、私から刺激を受けてくれる人。ストレートに感想をくれる人。ありがたいです!

どんな子も魅力的。ひとりをずっと見て撮ることが面白い

「ひとりに集中して撮るっておもしろい!」と思いました。大勢いるフィールドももちろん楽しいのですが、やっぱり見逃してしまうシーンはどうしてもあるんですよね。大勢だとあまり見せなかった姿が少人数だと見られる。「今まで言い出せなかったけど大好きなスタッフさんを独り占めできて嬉しい!」というシャイな男の子の姿がとても可愛いと思ったり、「鉄の意志でお尻を汚さないパパ」の服装選びを聞くことができたり。緊急事態宣言が解除されて、少人数で再開したからこそ感じられる楽しさです。

ひとりの小さい人の中で、「起こっている何か」をカメラを通して見ることが面白いです。そう見えるだけで、実は何も起こっていないのかもしれないけれど、そっと遊んでいるその心には、私には分からない何かが響いているのだろうな、などど思うと、じっと見ていたくなります。ひとりひとりの魅力が本当に際立っていますね。子どもたちはみんな魅力的です。可愛いだけではなくて、得意なことや不得意なこと、個性があって。じっと見ているとそれが伝わってきて、何だか素敵だなと思っています。それに、子どもは人に対するバリアが薄いんです。その点、大人は距離感を大切にしないと相手が構えてしまうことがあるので気を付けています。大人は、なかなか難しいです!(笑)

写真展にはあんまり興味がなくて。写真ってすごく個人的なものだと思うので、撮った瞬間から私のものではなく「その人のもの」なんですよね。一枚一枚が永久に大事な写真ももちろんあると思うんですけど、私が撮っている原っぱの写真は私の手元に大事に置いておくというよりは、人々に流れていくものというか。撮られた人がその時のことを思い出したり、その時の価値を写真を通して感じてくれたら良いなという想いと共に手渡して、私のところには残らないのが私らしいかなと思います。

やってみたいことは、「原っぱを飛び出して原っぱファミリーの日常を撮る」ということ。家族のお出かけに一緒に行かせてもらって写真を撮ってみたいです。行事というよりは、日常やその延長のお出かけにお供するというようなことをいつかやってみたいですね。以前目にした本で、あるおばあさんが、ダムに沈む村を撮り続けた写真集があったんですね。立派に飾られるでもなく、日常をひたすら撮っている様子で。「一枚で価値がある」という写真を撮れる自信はまったくないので、このおばあさんの写真のように、一連の流れや前後のストーリーがあるものを撮る。私はそういう撮り方なんだなと思っています。

人生観はとくにない。強いて言うなら「色んな目に遭いたい」

想定外の出来事に直面して「えーそうきたの?」というような目に遭いたいんです。山に登ることもそうですよね。まず、登るだけでしんどいじゃないですか。昨冬に「大人原っぱ」の旅で、雪山に登ったんですけど、登るしんどさに加えてマイナス15度の放射冷却だなんて、今までこんな目に遭ったことないわ!と思いました。もう、寒くて寒くて!ひとりで下山するわけにもいかないので、とにかく途方に暮れるしかなくて、その状況自体が面白かったです。

今までの事は、自分ではっきりと決めて選んだことってあまり無い気がしていて。どちらかと言うと、「風に流されている中で自分のベストを尽くします!」という意識で、ここまできたように思います。でも、流されている中でも地に足がついている感覚はあるし、それなりに長い年月を生きてきたからか、人にも揺さぶられないんですよね。(笑)この先どうしたい、という人生観は特にないんですけど、これからも色んな目に遭いながら好きなことをしていたいです。