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居場所をつくること。ボールとバットと写生の時間、イマジネーション

今日、地元の友人のK君と
新宿から逗子までの電車の中で、
原っぱ大学が
大切にしていることを
話していました。
そこで話したことが
気持ち良かったので
ここに記録します。
(長いです。あしからず)

K君と話していて、
小学校時代の2つのの
エピソードが
心に浮かんできました。

———-
ひとつめ。
僕は体育が苦手でした。
(逆上がりができたのは
高校生になってからです)

球技も苦手。
でも成り行きで地元の
少年野球チームに入っちゃって
これが苦痛で苦痛で
たまらなかった。
フライをとれない。バットに
ボールが当たらない。
(冗談でなく、6年間の
少年野球生活で
試合で出塁したのは
デッドボールの1回だけ)

あるとき、見かねた父が
僕を庭に連れ出しました。
新聞を丸めてボールにし、
それに糸をくっつけて
垂らして父が下げます
(つまり、ボールが
止まっている状態)。

「このボールに
バットを当てろ!」
父が言うのでやるのですが、
僕のバットは宙を回るばかり。
止まっているボールに
バットが当たることは
ありませんでした…。
そのとき、父は
「なぜできないんだ!」と
ものすごく怒っていたのですが、
その怒る父に僕は偉く
傷ついたのを覚えています。

———-
ふたつめ。
小学校の図工の時間。
写生の授業でした。
僕は校庭にある木を
描いていたのですが、
4色ぐらい絵具を混ぜるので
葉っぱの色がどす黒くなって
いました。

回ってきた先生が、
「こうやるのよ」と言って
きれいな緑色の葉っぱを
ちゃっちゃっちゃと
描いてくれました。
そのまま先生が立ち去ったので
また僕が筆をとって
気が赴くままに葉っぱを
描いていると、先生が
描いたきれいな緑の葉っぱは
再びどす黒い葉っぱに
埋もれてしまいました。

しばらくして戻ってきた
先生がそれをみて、
「何やっているのよ!」
といって、またきれいな
緑色に上書きをしました。

その時感じた無力さと
悲しさを思い出すと
今でもちょっと泣きそうになります。
———-

僕はこういう決められた場で
他人が望むアウトプットを出すのが
すごく苦手でした。
「野球」とか「サッカー」とか。
「写生」とか「書道」とか。
どうしても、
みんなの「レベル」に
達していなくて、
大人や友人が発する
何気ない言葉や攻めに
圧迫感を感じていたのを
覚えています。

でも、僕はドロケイは得意でした。
秘密基地を作るのは上手でした。
BB鉄砲の打ち合いではいつも
ヒーローでした。
クラスのお楽しみ会で
紙芝居を作ってみんなを
楽しませていました。

誇張でなくて、僕のフィールドは
学校やルールの中ではなく、
その外側にありました。
それこそ「原っぱ」に。
そこはルールを自分たちで決めて
自分たちで遊びを作っている場。
そういう場では僕は自分の存在が
認められている気がしていました。

そんな僕のエピソードに
対してのK君の指摘。
「見るのが下手だったのね。
ボールや木を見るのが下手。
頭の中で想像したものを
見ていたんだね、きっと」

なるほど!
確かに、見た情報で判断して
瞬時に動くということは
大変苦手でした(今も苦手)。

自然な山のなかで
想像を膨らませて、
ものをつくるのは好きだった。
秘密基地、宝の地図、戦争ごっこ。

想像するのが好き。
イマジネーション。

原っぱ大学は
そんなイマジネーションがあふれ出て
「社会」に適合しきれない子(=僕)の
居場所なんだなって。

下手糞でもいい。
見えていなくてもいい。
何やっても怒られない。
感じて、想像して、
思いっきり遊べる場。
子どもたちのイマジネーションを
押さえつけない場、
イマジネーション保全活動。

社会の要望にすんなり自分を
合わせられない子のための
セーフティネット。
そんな子でも
自己肯定感を育める場。
僕が、小さいころの僕が
求めていた場。
それが子ども原っぱ大学。

ここからちょっと飛躍します。
あふれ出るイマジネーションを
もっている子は、はみ出し者かも
知れないけれど、きっと社会の宝。
きっと彼らは、ルールの中で
戦う人たちではなく、
ルールを作っていける人たち。
たぶん。イノベーターの卵。たぶん。
そんな子ども達の居場所をつくって
自己肯定感を高めるのが、
原っぱ大学。
つまりはイノベーターの卵を
温めるのが原っぱ大学の
社会的役割なのだ!
※妄想(イマジネーション)が
入っていてスミマセン。