2013年を迎えるにあたって考えたこと。
こんばんは。2013年がはじまりましたね。年始、ということで昨年末からゆるりと考えていたことをまとめてみたいと思います。
子ども原っぱ大学はもともと、僕のとっても個人的な「身近な自然で遊ぶことの楽しさ・気持ちよさ・気づきの多さをたくさんの子ども、大人と共有したい」という思いから活動が始まりました。おかげさまでたくさんの方にご共感いただいて、2012年は大成功だったと思っています。皆さん、どうもありがとうございました。
一方で、単発のイベントとしてはノウハウのようなものがたまって繰り返し実行していくことができそうな見通しが立ったのですが、今後の続け方をどうするか、というのが悩みが起こりました。端的にいうと、この活動を“ナリワイ”にする方法はないかな、という「欲」というか、「思い」というかの輪郭がはっきりしてきまして。
ということで、昨年の後半からパートナーののだけんと議論を重ねてきました。“ナリワイ”にするためには、お金をいただかなければならないわけで、とすると僕らの価値は何か、ということを突き詰めねばと思った次第です。
その中で出てきたキーワードが「学びの場づくり」でした。原っぱ大学でやりたいことを突き詰めていくとフィールドを「自然」に限定しなくてもいいのかなと。ただ、自ら手を動かしたり、実際にやってみることによって得られるワクワク、気づきの共有がやりたいことの芯だという気がしてきたんです。それってすごく原始的な「学び」の体験ではないかと思うんです。そして、僕の子どもたちの周囲を見回しても、「教育」の機会はたくさんあっても「学び」の機会はもしかして少なくなっているのではないかと気づきました。
定められたゴールに向かって指導者の言うことを聞いて「学習」していく場(=教育)ではなくて、参加者の自発的な思い、気づきで学んでいく場(=学び)。※僕の解釈です
そういった学びの経験がこれからの世の中、大事になっていく気がするのですが、そういう機会って少ないんじゃないのかなと。
話がちょっと飛びます。「子ども原っぱ大学」というネーミングは正直言うと、単純に音の響きが気に入ってつけました。ただ、今になって思うとかなりいいセン言ってるネーミングだと改めて思います(自画自賛、失礼)。年末に大学の歴史について本を読んだのですが、大学っていうのは中世ヨーロッパで「学び」の場を作りたいという、生徒と教師の自発的な組合が原点らしいんです。その意味では子ども原っぱ大学のありたい姿はまさしく、子どものための「大学」だと思ったわけです。
また、興味深いのが、大学は各時代、各地域で時の権力者(教会⇒皇帝⇒国王⇒近代国家⇒企業)に近づいていき、教育の機能を拡大し結果として衰退、そこから学びの原点に立ち返って復活、という流れを繰り返しているようなのです。※僕の理解です
きっと人間は本来的に、根源的に、学びたいっていう欲求をもっているけど、学びの場は権力とくっつきやすくって、そのシステムに組み込まれちゃうと本来の意義が失われていくんだなと。で、権力のシステムがうまく回っているうちは機能しても、そこがくずれちゃうと場としての大学も機能不全に陥るってことの繰り返しっぽいです。
ということで、ちょっと大げさに言うと2013年の原っぱ大学は、現代の「教育」へのささやかな抵抗と「学びの根源」に立ち返るための動きとして、進化させていきたいと思ったのです。うーん、ちと高尚に過ぎますかね…。
というわけで、2013年の子ども原っぱ大学は、「子どもの大学」として進化するべく、いろいろ試していこうと思っています。具体的には単発のイベントではない、もう少し継続的な学びの場として活動できるよう企み中です(まだ企み、夢の域を出ていませんが…)。ただ、学び、と言っても堅苦しく考えるわけではなく、ベースとしては参加してくださる方々、僕らが楽しみながら、というのが前提ではあります。
話がとっちらかりましたが、2013年の始まりに当たって今の自分の思いを言葉にしておきたいと思って書きました。
今年も子ども原っぱ大学をよろしくお願いします!