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もし今日が人生最後の日だとしたら。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

スティーブ・ジョブズの超有名なスタンフォード大学でのスピーチの一節。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」スティーブ・ジョブズは30年間毎日、この言葉を鏡に向かって語り続けたそうです。

このスピーチはあまりに有名で、とてもとても示唆に富んでいて、僕も好きです。ただ、このくだりについては、そうは言ってもなかなかできませんよ、と僕は思っていました。今日一日のやること(to do)と自分の人生全体を引き寄せて考えられなかったんです。

たまたまなのですが、昨日、とあるきっかけで、久しぶりにこのスピーチをYoutubeで見直しました。そして、これまたたまたまなのですが、とあるきっかけで、この一説について、なるほどと思うことがありました。

なるほどと思ったきっかけについて。
友人と面白いシュミレーションというかゲームというか、対話をやったのですね。それは、今この瞬間、僕が死んだとして自分の人生に対して思うことを死後の自分の立場から振り返る。というもの。
一人がインタビュワーで一人が死後の自分の役。思いつくままに何を思うかを言葉にしていき、インタビュワーが気になったポイントを深堀りしていくというもの。そして、後悔や反省があるとすると、どうやり直したいか、というのを言葉にします。(死後の自分という立場だから、俯瞰して自分を見られるという面白い感覚。)

僕の場合。 家族への思い、両親への思い、お金のこと、やり残したことなどが出てくるのですが、深掘っていくと、自分がわだかまりや心残りだなと思うことは今の自分の心のありようなんです。何かをまだ為していないという事実ではなく、その「何か」に向かう自分の心のありよう。心のありようが自分がありたい姿とギャップがあることが、一番、後悔につながると思ったんです。(ちょうど今日、僕はうじうじもやもやと悩んでいるタイミングでした)半端に悩むぐらいなら、今、自分が取り組むべきことに誠意をもって全力に取り組めばよかった、と「死後の僕」は思いました。

そこで思ったのは最初のジョブズさんのくだり。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

これはなかなかイメージしづらいのだけど、ではなくて、

If today were the last day of my life, would I want to be what I am today?

英語の文法として正しいか微妙ですが、 「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日の私のあり方でいたいだろうか」 今の自分の心のあり方が、人生最後の日にふさわしいか、ということは僕でも問えるなと思ったんです。
 自分の使命に正面から向き合って取り組もうとしているか
 家族に対して真摯に誠実に向き合っているか
 友人に対して真摯に誠実に向き合っているか
 誰かを恨んだり、怨嗟を抱いたりしていないか
 ・・・

自分の心のあり方は人生最後の日にふさわしいか、それを問い続け、チューニングしていくことが「do」を変えていくのかなと思いました。そして、チューニングしてもどうしようもないときは、何かを変える時。ストンと腹落ちしました。

なんてことをまとめていたら、いつも好きで読んでいるカジケンさんのブログがタイムラインに流れてきました。

どんなサイコロ使ってる? カジケンブログ

“人間ついつい個別の事象や事柄に対して、損得や影響を考えようとしがちですが、こういう人たちはそんな毎回どうすべきか(To Do)なんて考えていないことがほとんど。

それよりどうあるべきか(To Be)を意識して毎回ぶれずに行動している。そしてそれは長期的に見れば見るほど、自分が願う結果に繋がる生き方なのでしょう。”

to be と to do の関係性と自分が願うことについて。まさに、僕が今日思ったこととシンクロ。うーん、上手にまとめてくださってありがとうございます!賛同!